真剣勝負と木剣試合

昭和26年頃 店主
昭和26年頃 店主
(出典:『我が六十年間』二巻 592~593頁)

 私がよく言ってきかせたことがある。君らの仕事と私の仕事を、剣道の試合にたとえてみれば、若い店員は袋竹刀(ふくろしない)の勝負だ。いくら叩かれたって、ああ叩かれた、くらいで済む。その次の連中は木剣の試合くらいで、支店長あたりでも、木剣で叩かれれば、血は出るけれども、命までもとられるようなことはない。しかし私は真剣勝負だ。しくじりをやれば命をとられ、店はつぶれる。それだからいつも真剣を抜いてやっておる私と、仕事の立場上真剣の抜けない支店長、支配人あたりが会得するものとの間には、どうしても越すことのできない壁がある。これはいかんともいたしかたがない、私以外には味わえないんだから、それはさよう心得ていよと言って、よく教育をしたもんだ。
 その当時、吉川英治の『宮本武蔵』という本が出たんだ。あれを私はすぐ買って読んだね。私は宮本武蔵だ、支配人や支店長は佐々木小次郎だ。佐々木小次郎は道場で鍛えに鍛えて、技術においてはもう右に出るものはない。宮本武蔵も及ばなかっただろうと思う。ところが宮本武蔵は道場でなく実戦で鍛え抜いて、最後には自分の体から殺気がほとばしるようになったんだね。武蔵の体から出る殺気に人がうたれるようになったんだよ。光悦(注)のお母さんが武蔵を見て逃げてきたというのは殺気にうたれたんだよ。だから武蔵は、自分の体から殺気が出るように、体験でなってしまったんだね。そのような武蔵を殺気を出さないように精神的に鍛練したのが沢庵和尚だよ。武蔵はただ鍛え上げたのみでなく、人を抱擁すること、人としての最後の心を沢庵の禅によって教わった。そういう関係が、あの宮本武蔵の本を通じてわかるんだよ。それで私は、あの本を社員全部に読ませてみたいなと思ったことがあるくらいで、技術を身につけた人あるいは学問を身につけた人と、そうじゃなくて人間として鍛えに鍛えて鍛え上げてきた人とでは大きな違いがある。そして最後に技術よりも人間が勝敗を決するのだ。武蔵と小次郎がそれだ。私はあの本でそういうふうに感じた。
(注)
 本阿弥光悦・・・刀剣の鑑定・研磨等を家業とする京都の本阿弥光二の長男として生まれる。江戸時代初期の書家、陶芸家、芸術家。書は、寛永の三筆の一人とされる。また、俵屋宗達、尾形光琳とともに、琳派の創始者とされ、後世の日本文化に大きな影響を与えた。



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